橋本太地って弁護士やっているらしい人が、SNSに「死刑に賛成の人は、自分の大切な人が死刑囚になっても死刑に賛成するのでしょうか。」と投稿したような。それに対する一般人の反応は、その意見に反対ばかり。色々な角度からの反対が見られた。
筆者の感想は、賛同か反対かの二択なら反対・・・だけど、一番に出た感想は、なんじゃそりゃ!?って感じだった。ってのも、この人の主張は、論拠の提示じゃなく、感情への訴えじゃない。話し合いで感情論持ち出したら、負けでしょ。ま、筆者は、経験からそう結論づけている。相手を論理的に説得できるネタがないから、自分の反論ができず黙ったら当然負けなので、苦し紛れに感情に訴える発言をする。なので、感情論持ち出しは、負け宣言と言えると思っている。
で、重要なのは、この人が弁護士だって事。弁護士は、法律の専門家として、感情に流されず冷静かつ論理的に物事を分析し、法と証拠に基づいて議論を組み立てるスキル(法的思考力:リーガルマインド)を持っている事が強く望まれる職業だ。そんな弁護士が、今回、論理じゃなく感情で相手を説得しようとするって、終わりだよ。弁護士能力を疑う体たらくでしょ。実に浅慮。そんなの、弁護士じゃなくったってできる。その弁護士バッジを、どうやって手に入れたのか。何のために勉強が必要なのか。一旦、弁護士バッジ返納してから、考えてみたら?・・・って、思えたのだ。
で、若干繰り返しになるけど、弁護士うんぬんじゃなく、一般人同士でも、議論、話し合い、意見のぶつかる場において、感情論(泣き落としや相手の人格否定とかとか)を持ち出す行為は、自分の論理的ネタの種切れ、反論の限界=負けを呈している事・・・だと思っている。もし、世間的に間違っていても、自分の中で正当化される理由があり、それをどう言われても言い返せるだけの論拠が揃っていれば、話し合いは勝てるだろう。ま、話す基準が、価値感が、違ったら、そもそも話し合いにならないけど、ま、そういう時は世間の価値感に沿っている方が勝ちがち・・・に見える。
・・・と、言いつつも忘れてならない事がある。それは、議論において、主張する側は感情的、感情論を持ち出すのNGだけど、議論で相手に勝つには、いかに相手(聞き手、第三者)の感情(好感、正当性感、信頼感)を自分に向けるかが重要・・・って事実もあるって事だろう。人は「論理(ロジック)」で納得し、「感情(レトリック)」で動く。どれだけ正論であっても「冷淡で機械的」に映ると、感情的な支持を失って負ける事があり、逆に、論理の正しさと「聞き手の感情を揺さぶる共感性」を両立させた側が、圧倒的な強さを発揮しがちだ。
という主張の在り方を整理した所で、どんな職業でも、有能さでピンキリがある。優劣をどうしてもつけたら、嫌でもキリが発生する。でもそれが、極めて高いレベルに収まる形でのキリなら、「まあしょうがない」「構わない」になりだちだろうけど、素人でも分かっちゃう能力を疑うレベルでのキリは、マジ害悪だ。専門職に仕事を頼む時、そういう人にはかちあいたくない、と切に思うし、今回の橋本氏は、SNSの一端しか知らないけど、仕事なんて頼みたくないと思ってしまったのだ。
・・・なんて事を、ウダウダ考えていたら、今日は寝るのが遅くなってしまうだろう。